木内 敏之氏[木内酒造㈱ 代表取締役社長]
【INTERVIEW|テロワールの活かし方】世界の「常陸野テロワール」へ
200年の歴史を有する日本酒製造・木内酒造㈱は、1996年ビール事業、2006年飲食事業、16年ウイスキー事業と、節目節目に新規事業へと参入。法改正やブーム衰退、東日本大震災、新型コロナと環境が激変するなかでも変化を恐れず、現在、海外代理店40か所以上、関連3社合計年間約30億円を売り上げる事業体に成長した。しかしその根幹にあるのは昔もいまも変わらない「地域の循環」。木内敏之社長にその真髄を伺った。
<中略>
――木内社長が世界を目指されたきっかけは何だったのでしょうか。
木内 先ほど私は酒税法改正のタイミングでビール事業に参入したと言いましたが、それだけでなく、当時は日本酒の出荷量がピークでしたので、良いときに新しい事業をはじめようと考えたのもひとつです。実際、日本酒業界は1973(昭和48)年度には総生産量が177万klありましたが、そこからじりじりと下がり続け、いまや先の見えない状況が続いています[図表5]。
ちょうどその頃、私は「十勝ワインの生みの親」と言われる当時の北海道池田町長・丸谷金保氏(故人)から紹介され、一人の人物に出会いました。当時大分県知事を務められていた平松守彦氏(故人)です。平松氏は疲弊した地方の農家の現状を打破するために、世界に通用するものを一品つくって世界に売り出そうという「一村一品運動」を提唱されていました。私は茨城県の状況も同じだと思いました。
私はビール造りで「全国・世界に通用するローカルなもの」「自主自立や創意工夫のあるもの」「きちんとした人づくりから生まれるもの」を目指そうと考えました。設備投資に大手商社を介すると莫大な費用がかかるので、カナダのビール醸造機械メーカーDME社と直接交渉し、大手商社の半額以下で設備を購入しました。幸運なことにビール造りのノウハウも提供してもらえたのです。取り寄せた設備は私と社員たちとで組み立てました。そのノウハウはいまでも当社に残り、他社へ提供する事業に活かされています。
――ゼロから手探りで手造りしていったということですね。
木内 茨城県は当時、二条大麦生産高で日本一を誇っていましたが、その後、東京へ供給するために麦栽培から野菜栽培に転換しました。それで耕作放棄地がふえることになった。さらに高速道路が茨城から北へ伸びたことで、茨城は素通りされ、さらに耕作放棄地がふえていきました。これではいけないと、私たちは地元の農家さんとともに茨城をもう一度、麦生産日本一にしようと動き出しました。地元でつくった麦でビールを造る。07年、栽培が終了していた日本古来の麦「金子ゴールデン」を復活させ、日本の原種麦を使った「ニッポニア」というビールが誕生しました。
耕作放棄地で麦をつくると、去年まで野菜をつくっていた栄養のある畑では、規格外が生まれます。ビールの醸造をするうえでは捨てていた規格外の麦を使ってウイスキーをつくろうと考えたのが、当社のウイスキー造りのはじまりです。
――地域を見渡し、地域の課題に向き合ってきたら、それが新規事業につながっていたということなのですね。
――飲食事業については、食材は先ほど豚肉や生ハム、ソーセージ、蕎麦などのお話があったように、地域から生まれたものですね。
木内 そうですね。飲食事業の食材についても「地域の循環」のなかでまかなうことを原則としています。
店舗としては、テイスティングのできるショップ4店舗のほか、レストラン、ビアバーなど12店舗を展開しています。飲食事業は当社の事業売上げのなかでは25%ほど[図表7]。当社では本業は酒造りであり、飲食事業はあくまでもそのブランディング、マーケティングの場と位置づけています。
12店舗のうちの6店舗は東京・JR山手線の駅ナカあるいは駅チカという立地です。
どこも訪日外国人が3、4割を占め、特に24年12月にオープンした蒸留設備併設のダイニングバー「常陸野ブルーイング秋葉原」のお客様はほぼ海外からのみと聞いています。すでに海外で当社のビールやウイスキ―に親しんでくださっている方々が「日本に来て、製造したての本場の味が楽しめる」と立ち寄ってくださっています。
――25年2月にオープンした「母屋」についてお聞かせください。
木内 那珂市鴻巣にある木内酒造本店の敷地内にあり、100年以上にわたり木内家の住まいとして使われてきた“母屋”をレストランに改装しました。実際に私が子どもの頃暮らしていた場所です。部屋は1階に2室、2階2室。定員は22人まで、昼と夜に分け、完全予約制となっています。 料理は厳選した常陸野の素材を活かしたコース料理。酒は基本的に大吟醸古酒などここでしか味わえない日本酒とします。販売はしませんので、ここに来なければ出合えない日本酒ということになります。常陸野の食と木内酒造が醸しだす酒の数々とのペアリングを心ゆくまで楽しんでいただきたいですね。もちろん器にもこだわり、常陸野の陶芸作家たちの作品や木内家に伝わる皿などを使用します。
この「母屋」オープンを機に、当社では次なる事業の軸を日本酒に据えていきます。当社としては祖業である日本酒造りをもう一度きちんと手がけたいという思いがあるのです。
<続きは本誌にて>