――川上恵美子氏 (株)ファイング 社会福祉士(エンディングソーシャルワーカー)
岡山市が本拠の(株)ファイング(社長川上明広氏)のエンディングソーシャルワーカー、川上恵美子氏(以下、恵美子氏)は、2012年に旅行会社から葬祭業に転職した。
畑違いの葬祭業に飛び込んだ恵美子氏の歩みやそのときどきの想いは、いまの葬祭業界に足りないもの、必要とされる考え方について貴重な示唆を与えてくれる。
旅行会社に勤務していた恵美子氏がまったく畑違いの葬祭業界に飛び込んだのは、夫でファイングの社長である川上明広氏との結婚がきっかけだ。
結婚当時、明広氏は葬祭業に参入して5年目、ファイングを立ち上げて2年目。まだ施行件数も少なかった。
しかし恵美子氏は、葬祭業への転職を決意する。施行件数が少なく収入が低いなら、件数をふやせばいい。そのために同じサービス業である旅行業での経験が活かせるのではないかと考えたのだ。
「その時点でスタッフは社長ともう1人。私がこの2人に葬儀を頼むかというと、おそらく頼まないというイメージ。葬儀社と相談する遺族側の窓口は故人の奥様やご子息さんが多く、また旅行でも葬儀でも、お財布の事情がわかっているのは女性のほうでしょう。ここはやはり女性の力が必要だと思いました」と恵美子氏は語る。
当時、同社は自社会館を有しておらず、遺体安置所も借家で、面会スペースはなかった。そこで、同社は県内の競合他社が受けたがらない貸し式場や自宅での葬儀に注力していくことになる。入社したての恵美子氏が業務を行なうなかで気づいたのが、「従来の葬儀は、お客様の要望を聞いていない葬儀社ベースになっているのかも」ということだった。「旅行会社にいたときは、提案して『ありがとう』と喜ばれた。葬儀社も、本来は同じなのではないかという想いがあったのです」(恵美子氏)
葬祭業の経験はなくとも「『どう送りたいかを尊重すること』『故人の身体を最後までいい状態に保つ』と言うことだけはわかっていた」と言う恵美子氏は、経験不足の不利を打ち消すべく、入社後すぐに研修受講や資格取得のために全国各地に出向いた。
「全国各地で学んできたことで人脈が一気に広がりました。研修に来る人は意欲が高くて前向きな人が多く、そこで出会えた人からさまざまなアイデアをもらい、目線も変わってきました。もし研修でのそうした出会いがなければ、我流に陥っていたと思います」と恵美子氏は言う。
恵美子氏の研修受講や資格取得の歩みは、そのまま同社のサービスの進化につながっている。その代表例の1つが、グリーフケアの観点を重視した処置「エンゼルケア」だろう。
恵美子氏は2013年6月にグリーフケア関連の研究所が認定する資格を取得している。この資格は、グリーフケアの理論と、その実践に必要なコミュニケーションスキルやカウンセリングスキルを活かし、遺族をはじめ喪失体験者を支えることができる人材を継続的に生み出すことを目的とした、いわば遺族支援のプロフェッショナルだ。その強みを活かして恵美子氏は、グリーフケアの一環として、葬儀社が自前でエンゼルケアをサービス提供していくことを考えたのだ。
同社の「支える人を支えたい」というミッションのもと、恵美子氏は18年に高齢者と介護者、そしてその周囲の人びとが笑顔になれるコンテンツを提供していく(一社)おかやまスマイルライフ協会を立ち上げ、翌年3月には社会福祉士の資格を取得、死にゆくときを支えるソーシャルワークを提供するという意味で「エンディングソーシャルワーカー」を名乗るようになった。
恵美子氏の数々の活動は、同社がグループとして掲げる「地域包括」制度と軌を一にしている。
「住み慣れた場所で安心して最期まで生活できることに加えて、『安心して死ねる、送ってもらえる』までが含まれてはじめて本来の地域包括。この体制に葬儀社が入れば、『最後の見送りも皆で考えましょう』という話ができます」と恵美子氏は語る。
同社では、今後、地域包括と向き合うことを最重要課題とし、見守り、おひとりさま対策などの高齢者支援事業に取り組んでいく。3~5年後にはファイング葬祭事業部と並んで高齢者支援事業部を立ち上げ、介護施設や病院、行政などとも連携しつつ、「見守り」「看取り」「見送り」をとおしたサービス提供を目指す。