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――勝 桂子氏 葬祭カウンセラー/特定行政書士

生き様が語られる場の復活

識者・オピニオンリーダーが寄せる弔いと葬儀のゆくえ

1月号特集「どうなる?!葬祭業の行く末」では、各方面で活躍する研究者・有識者・オピニオンリーダー11名に葬儀や弔いなどのテーマで原稿を寄せていただいた。Web版では、「供養の必要性」をテーマにとした、葬祭カウンセラー/特定行政書士の勝桂子氏の寄稿を掲載する。


勝 桂子

『いいお坊さん ひどいお坊さん』(ベスト新書、2011)ほかの著者として
全国の僧侶研修・終活セミナー登壇多数。群馬県の古溪光大僧侶と
ともに設立した縁空(エンク)合同会社で、寺社を“みとりステーション”
へと進化させゆく人材として、葬祭カウンセラーを養成している。


 日頃、生活に追われ考える暇もない生と死のこと。死生観。また、その裏返しである生きる意味について、深く感じ考えることのできる時間。それこそが、死に行く人からのプレゼントであり、葬儀は死に行く人から居残る人たちへ、走り抜けた人生のバトンを渡す場であると、私は葬祭カウンセラーとして、考えている。本来の葬儀で人は、故人のエピソードを聞いて生きる意味について考える機会を得、若い人たちは使命を感じ取ることさえある。映画や小説でも、葬儀のシーンが意味深い1コマとして描かれることもしばしばだ。

 ところが都市部では直葬・家族葬が過半となり、見知ったエピソードしか語られなくなった。遺体処理に終わる葬儀が激増している。このことに比例するかのごとく、“生きがい危機”に陥る人も急増。都会のメンタルクリニックの多くは予約が1か月以上待ちだし、15~39歳の死亡原因の第1位は自死である(厚生労働省2022年調査)。少しでも抗うため、若手僧侶と設立した縁空(えんく)合同会社で、葬祭カウンセラーの普及に努めている。

 葬祭カウンセラーの1人が、育ての親代わりだった祖父の看取りで思い悩んだ。終末期に入った頃から、葬儀の準備を周到に進めていた。「想送庵カノン」(東京都葛飾区)を下見し、祖父を送るにふさわしい部屋をイメージして、最後の数か月を過ごした。ところが“そのとき”が来たとき、カノンの担当者とすぐには電話が通じなかった。横で見ていた母(祖父と血縁でなく同居もしていなかった)が、ネット検索の業者経由で安価な葬儀にしてしまった。

 わずか数十万円を浮かせることができて喜ぶ母を見て、彼女の気持ちは数か月に及んで沈んだ。思うように手厚く送ることができなかったからではない。安価な葬儀でいい、むしろお金が残るほうがうれしい、と考える人もいる……しかもそれが肉親であるという事実を、なかなか受け入れることができなかったからだ。「下見に行ったり、お金をかけた葬儀を望んだりしたのは、私のエゴだったんだろうか?」と彼女は、重い口調でつぶやいた。

 ほんの50年前なら儀礼や墓石・位牌を粗末にする人のほうが人として信じられないと言われたのだろうが、わずか50年で、この価値観が逆転した。いま、われわれはとんでもない端境期にいる。

 周囲や近隣の人が家族関係も調整してくれた大家族の時代とは異なり、人と人とのつながりが一対一になっている。そのため喪主と、喪主以外の参列者とでは故人との人間関係が大きく異なる。よって、昨今の葬儀後には、彼女が体験したように多くの衝突が起きている。

 だが想像力に長け、余るほどの記憶力をもつわれわれは、グリーフに陥って今日すべきことも手がつかない状況を避けるために供養を必要とする。何より、“故人の生き様に学ぶ語らいの機会の復権”が必須だ。直葬で済ませてしまった後、空虚感や何か重たい気持ちが残るのであれば、納骨の前や周忌に合わせて友人・知人を集め、昔の通夜のように語らう「追悼式」や「偲ぶ会」を、菩提寺やレストラン、あるいはホテルのバンケットなどで自由に開催してもよい。そうした提案のできる人材を、葬祭カウンセラーとして輩出していきたい。


本誌では勝氏のほかにも、葬祭・供養業界の研究者・有識者・オピニオンリーダー10名から寄せられた原稿を掲載しています。

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